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千遍返し、万遍返し

おはようございます、保育士のだいちです。

表題の言葉は私が通っていた幼稚園の園長先生が仰っていた言葉で、それを保育士となった時に母から聞いたものです。

子どもたちに何かを伝える時、それが危険を防止するために注意しなければならない場面であれば殊更に、私たちは子どもたちが1回で理解する様に頑張ってしまいがちです。

もちろん1回で理解できるのならそれに越した事は無いのですが、大抵の場合は同じことを何度も繰り返し「何回言わせるの!?」と言う事になってしまいます。これでは子どもも大人も疲弊するばかりで、肝心の「伝える」という部分が疎かになってしまいます。

私たち大人でも、全員が全員物事を1回で正しく理解できるかと言われればそれは無理というものです。ましてや子どもは人生経験が大人に比べれば圧倒的に少ないのですから、1回で理解できないのが普通なのです。

その無理を通そうとすると、2~3回伝えただけで大人も子どももうんざりしてしまいます。

そこで表題の言葉が出てくるわけです。子どもたちに何かを伝える時は、千回でも万回でも繰り返すつもりで根気よく伝えていかなければなりません。

もちろんテキトーな言葉かけを繰り返しても意味はありません。「どうすれば子どもの心に言葉が届くか」という事をその都度考えながら伝えていくのです。

また、もう一つ考えなければならないのは「どのような声掛けであれば千回や万回繰り返しても、子どもも自分自身もうんざりせずにいられるか」ということです。

「ダメって言ったでしょ!?」とヒステリックになるのでは2~3回で辟易してしまいますし、とても月曜から金曜まで同じ調子で過ごす事は出来ないでしょう。

私自身もどの様に自分の感情や声掛けをコントロールすれば子どもたちにとって最善の関わりが出来るかと模索している所なのですが、如何に言語化しやすいものを書いておきたいと思います。

まず一つ目は「一次感情を伝える」という事です。

例えば廊下を全力疾走している子どもを見つけた時に、つい「走るのをやめなさい!」と言いたくなってしまう原因は何でしょうか。

「子どもが怪我をしてしまう、止めなければ」という焦りを感じる人が多いと思いますが、ではその「焦り」の正体は何でしょうか。

その焦りの正体はズバリ、予見される結果に対する「悲しみ」の感情です。

保育士や幼稚園教諭になろうという人であれば、そもそも見知らぬ子どもが怪我していても心を痛める様な優しい気持ちの持ち主であるはずです。ましてやそれが毎日職場で関わっている子どもなら猶更でしょう。

その予見される結果に対する「悲しみ」の感情が「焦り」へと変化し、表現(声掛け)の段階で怒りへと変化しているのです。

ですから、子どもたちに対しては「廊下を走っているのを見たから私は怒っているよ」という二次感情(怒り)を見せるのではなく、一次感情をそのまま伝えるのです。

「廊下を走ったらお友達とぶつかって怪我しちゃうよね。そうなったら私は悲しいよ」と伝えるのです。

子どもたちにとっても、「怒られるからやめよう」と保身目的で行動するよりも、「先生を悲しませちゃうのは嫌だからやめよう」と思いやりをベースに行動した方が、良い人格形成に繋がるはずです。

もちろんこれは、「今まさに目の前で全力疾走しているのになあなあで済ませる」という事ではありません。止めなければ大怪我をしかねない場面では大きな声で制止しなければならない事もあるでしょう。

しかし感情に任せて大声を出すのと、感情のメカニズムを理解した上で声のボリューム等を自身でコントロールするのとでは天と地の違いがあります。制止した後の声掛けの内容も変わってくるでしょう。

一つ目が少し長くなりましたが、意識している事の二つ目は「きっかけを与え続ける」という事です。

正直、今目の前の子どもに伝えた言葉がその場で届くかどうかは誰にも分かりません。

凄く良く理解した様に見えても「そんなフリ」をしているだけかもしれませんし、逆にとても理解したようには見えなくとも頭の中で一生懸命考えているのかもしれません。

ですから、その場で理解して欲しいという気持ちは完全に捨て去ります。もちろんその場で理解できるくらい分かりやすく、心に届きやすい声掛けを全力で考えます。ただ、努力はしても結果は求めないのです。

そこで掛けた言葉がその子の心に届くのはその場の事もあるかもしれませんが、翌日かもしれませんし、翌週かもしれません。卒園する頃に「先生が言ってくれたあの言葉、嬉しかったよ」と言ってくれる事もあるかもしれませんが、理解してくれたかどうかわからないまま卒園していき、自分の見えない所で伝えた言葉が生きているという事もあるかもしれません。自分が他界した後に魂だけとなって「あの子どうしてるかな…」と見に行った時に自分が伝えた事を大切にしてくれているかもしれません。今世では全く伝わらず、自分自身も前世の記憶を全く失ってしまった頃にその子の魂がそれを覚えていて実行してくれているかもしれません。

話が飛躍し過ぎているとツッコミを頂くかもしれませんが、要は「誰かに何かを伝えるというのはそれだけ気の長い話だ」という事です。それをたった一回で済まそうとするのがどれだけ無謀なのか分かっていただけたのではないでしょうか。

自分もこの手の失敗は何度もしてきました。子ども以外の人間関係で取り返しのつかない失敗をした事もあります。

子どもであれそれ以外であれ、人に何かを伝える時には千遍返し万遍返しを意識して、根気良く気長に伝えていきましょう。